2008年01月20日

池田屋に散った松陰門弟 吉田稔麿

松陰がその才を認め、深く愛した、逸材吉田稔麿は天保十二年長州藩の下級武士清内の子として萩にうまれ、十三歳で江戸藩邸に小物として仕えた。その時ちょうど浦賀にペリーの黒船が来航、欧米列強の侵略の魔の手が日本に伸びようとしているのを、肌で感じ安政元年武術を習う為、槍の名手小幡源右衛門に入門する。安政三年、帰国した稔麿は吉田松陰が主宰する松下村塾に入門、松陰に深く傾倒し、猛烈な勉学を開始する。やがて稔麿は高杉晋作、久坂玄瑞、入江九一と共に「松門四天王」と呼ばれるほどになった。松陰もまた、稔麿を深く愛し、秀実の名と無逸の字を贈った。
安政四年江戸御番手小使として、江戸行きを命じられると、松陰は江戸に居る桂小五郎に、稔麿を紹介する手紙を書き宜しく指導してやってくれと、頼んでいる。江戸から稔麿は、将軍継嗣問題や幕府の情勢などの情報を送る一方、斉藤弥九郎について剣を学び、安政五年に帰国した。時を同じくして松陰は老中間部の暗殺に関わったとして下獄する。父清内より危険な松陰の接触を禁じられ、一時同志からも離れた。安政六年、安政の大獄に連座したとして松陰は江戸に送られ、江戸伝馬町の獄で刑死した。万延元年、兵庫警衛の御番手を命じられ、出張した稔麿は、突然、脱藩し江戸に出て旗本妻木田宮の用人となった。しかし文久二年、父が病気の為と、暇を願い出て妻木家を去り、京都に入った。在京中の毛利藩主世子定広から脱藩の罪を許され、本格的に尊攘運動に身を投じる。文久三年、関門海峡を通航する外国艦を砲撃した長州藩では、高杉晋作によって奇兵隊が結成される。稔麿も京都から帰り参加した。さらに、それまで足軽だった稔麿を士籍に加えるという沙汰が、藩から出、屠勇隊結成を認められる。稔麿がかねてより、被差別民も兵士として取立てるよう、意見書を出していたのを許された。今までの武士には無い、被差別民とも隔てなく交流した松陰の影響が大きく感じられる。また、幕府の使節で朝陽丸に乗って長州に来た中根市之丞ら三人を暗殺した事件で、稔麿は隊士達の行動が忠義から出たものであることを説明し、納得させ、長陽丸は長州から去った。稔麿の優れた外交官としての力量がうかがえる。しかし京都朝廷内で起こった政変により長州藩は失脚する。稔麿は藩命を受け、幕府と長州の間を調停しようと江戸、京都に赴き奔走した。元治元年、京都三条小橋の池田屋で、他の志士たちと談合中に新撰組の襲撃を受け、一時は包囲網を斬り抜け、河原町の長州藩邸に注進の為、走ったが、注進後槍を担いで藩邸を飛び出し加賀藩邸前で討ち死にしたらしい。稔麿この時二十四歳・・後に松下村塾の同門生で元勲になった品川弥次郎子爵は「稔麿がもし生きていたら総理大臣になっていただろう」と語った。その早すぎる死は後の日本にとっても大きな損失だった。


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2007年11月29日

高杉晋作と共に松下村塾の双璧と謳われた秀才

*久坂玄瑞 長州萩藩の藩医の子として生まれた。藩医は頭を丸めるのがきまりだが、両刀を帯びることは許されていた。十八歳で吉田松蔭に入門、まるで美僧を思わせる色白の秀麗な面立ち見て、松蔭の妹文はすぐに「お地蔵様」というあだ名をつけた。半年遅れて入塾した高杉晋作と双璧として頭角を現した。松蔭は彼の優れた資質にほれ込んで妹文と娶わせ義弟とした。翌年江戸・京都に出て志士として活動、六年後蛤御門の変で討ち死にするのだから文と一緒に暮らしたのはわずかの間で子供もいなかった。玄瑞は死ぬまで純粋の攘夷論者で外国嫌いであった、これはペリー来航を機に洋書の翻訳を命じられた兄の玄機が、命をすり減らしたことを、外国に殺されたと受け取った、馬関攘夷戦の口火を切ったのも玄瑞だった。蛤御門の変の直前、玄瑞は京都にいて長州軍の進撃を合図した二条城にいた将軍と膝詰め談判して長州藩の名誉回復を狙った進軍だったが将軍が江戸に帰ると聞き進軍の中止を進言する書簡を送ったが時すでに遅く二千の武装兵が京に向かった。やむなく玄瑞も合流し自重するよう説得したが主戦派の来島又兵衛らは京都に乱入した。玄瑞は責任を感じ彼らと運命を共にした。傷ついた玄瑞は鷹司邸に入り後ろ手で構えた刀で自分の首を斬りおとすという壮絶な最後を遂げた。享年二十四歳の短い命だった。妻の文との間に子供は出来なかったので久坂家は絶えたと思われていたが京都に愛人がいて子供も生まれていたのがわかった。今、残っている玄瑞の絵は息子の秀次郎をモデルにして書かれたものである。

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