2009年02月28日
棚倉藩十六ささげ誠心隊 阿部内膳
阿部内膳は棚倉藩藩主・阿部美作守の一族で家老・阿部正脩(秋風)の子として生まれ戊辰戦争で奥羽越列藩同盟の棚倉藩家老として加盟し白河桜町口の守備を勤めた。「仙台烏に十六ささげ なけりゃ官軍高枕」と謳われ西軍(官軍)に恐れられた誠心隊(精神隊ともいう)の隊長として活躍したという。仙台鴉とは仙台藩の細川十太夫が率いたゲリラ戦を得意とした衝撃隊のことで十六ささげとは白河地方で古くから栽培されていた大角豆(ささげ)の一種で十六ささげというものがあるらしい。棚倉藩家老・阿部内膳率いる勇士十六人の誠心隊を十六ささげに掛けてそう呼んだともいわれている。また、彼らは西洋軍装ではなく古来からの鎧、兜に弓や槍をかまえて勇猛果敢に戦った姿をみて十六ささげと名づけられたという説もある。(十六ささげはインゲン豆の一種で種が赤褐色、莢が薄緑色だったことから甲冑は赤褐色で旗幟が薄緑だったので十六ささげを連想させた。)誠心隊は始め隊長が阿部内膳以下有田大介、大輪準之助、北部史、志村四郎、川上直記、梅原彌五郎、須子國太郎、宮崎伊助、鶴見瀧藏、宮田熊太郎、湯川賢次郎、岡部鏡藏、村杜勘藏、野村絢、山岡金次郎の十六士が西軍(官軍)に対し勇猛に挑んだ為、寄せ集めの官軍らは恐れたという。しかし、阿部内膳は白河の桜町攻防戦で奮戦するも金勝寺で敵銃弾に斃れ亡くなったという。維新後、阿部内膳は反逆首謀者とされたのは負ければ賊軍といわれる所以である。
この記事へのトラックバック
天皇家三代を毒牙にかけた薩長を許すまじ!其の参
Excerpt: JUGEMテーマ:叫び!  戊辰戦争で西軍は最新の軍備と、錦の御旗を押し立てて進撃したことは有名です。会津藩兵の装備などは確かに時代遅れで、林権助大砲奉行のがんばりはあったが、..
Weblog: 熱湯浴の右回りは続く
Tracked: 2010-01-13 14:10
棚倉の一六ささげの1人の子孫のものです。
我が家には使用した鎧がまだ残されています。
ネタではありませんよ
幕末小説書いてますので。
日本の未来を見つめるには、幕末の進路から学ばねば。との思いでおります。
残された俳句、短歌のやりとり、意味深いですね。
御近習です
このコメント欄に我が家の先祖と同じ十六ささげ隊の冨田氏の子孫の方がコメントを残されていて、会ってみたいと素直に思いました。
(ちなみについ最近は阿部内膳の墓碑にまいりましたが、他の十六ささげさんの子孫の方と会うことは皆無です)