2009年02月05日

仙台額兵隊 星恂太郎

zyuntaro.jpg星恂太郎は天保十一年、仙台東照宮六供の一戸・星道栄の長男として生まれる。幼い頃から武芸を好み、星家の家業・東照宮宮司を継がせるのが難しいと思った父・道栄は伊達藩の台所人・小島知治の養子とした。しかし、剣術好きの恂太郎は包丁を持つことを嫌い実家の星家へ戻される。その後、剣を狭川喜多之助に西洋兵学を真田喜平太に学んだ。恂太郎ははじめ、熱烈な攘夷論者で同志の金成善左衛門、男澤珍平、菊池虎太郎とともに開国論者の大槻磐渓や但木土佐、松倉良輔らの暗殺を計画する。最初に大槻を襲撃するが失敗、次に但木の屋敷に押し込んだが逆に西洋事情の知らない恂太郎らを説得、後日大槻磐渓を訪れ話を聞き、自分達がいかに無知であったかを恥じる。元治元年、恂太郎は脱藩して江戸へ出、海外事情を知るために渡米を試みるが失敗、無一文になった恂太郎は仙台藩士・富田鉄之助に救われる。富田は但木土佐から星恂太郎という男は見込みがあるので助けるようにと大金を渡されていた。感激した恂太郎はその後、幕臣の川勝広道や下曽根信行に西洋砲術や銃隊編成調練を学ぶ。また、恂太郎は各藩の兵備などを調べて歩き、横浜でアメリカ人ヴァン・リードに出会い昼は彼の経営する銃砲店で働きながら夜は兵学砲術の研究に打ち込んだ。その後、江戸に戻って諸藩士に兵学砲術を教授するまでに精通するが戊辰戦争が始まると上野で彰義隊と新政府軍が戦火を交える。恂太郎は戦火を避けるために横浜に居を移すがそこで仙台藩士・松倉良輔の説得を受けて仙台へ帰ることになる。帰藩した恂太郎は慶応四年、西洋流銃術指南役として大番士に取り立てられ洋式銃隊の額兵隊(恂太郎が横浜で知り合ったヴァン・リードの伝手で購入した洋式銃器や赤と黒のリバーシブル軍服で装備)の調練を任される。恂太郎は奥羽越列藩同盟として仙台藩も新政府軍と戦っていたが額兵隊に再三出撃命令を出したにも関わらず準備不足を理由に是を拒む。弾薬製造を終えいよいよ出陣となった恂太郎は約1千名藩兵(額兵隊)を率いての奥羽越列藩同盟として出兵中に仙台藩は恭順降伏を表明、星恂太郎を中心に藩の帰順に不満を持つ額兵隊隊士二百五十名を率いて脱走し、藩主・伊達慶邦の説得を振り切って旧幕府軍の榎本艦隊に合流して蝦夷地へ渡る。鷲ノ木浜に上陸後、星恂太郎ら額兵隊は陸軍隊、衝蜂隊と共に先鋒を務め奮戦する。函館政府では第三列士満(レジマンのことで連隊と約す。)の第二大隊隊長に就任して土方歳三の指揮下に入った。明治二年、新政府軍が乙部から上陸し陸海からの猛攻撃を開始、額兵隊は木古内、矢不来で奮戦するが敵兵力に圧倒され惨敗し恂太郎は切腹しようとした。しかし、仲間に説得され千代ヶ岡に撤退、弁天台場の救出に向かう土方歳三に従って出撃するが反撃に会い土方が戦死、星恂太郎は千代ヶ岡に退いた。星恂太郎は函館政府の降伏まで戦い続けたが捕縛されて弁天台場にて一年間の謹慎生活を送る。赦免後、他の仙台藩士と共に日高国沙流郡平取の仙台藩開拓事業に従事するが一ヵ月後に閉鎖され仙台へ戻る。明治四年に新政府の開拓使に十五等出仕し北海道岩内郡堀株の製塩場経営に従事し開拓使大主典となる。しかし、経営不振の為に製塩場が閉鎖され恂太郎はその責任を負って開拓使を免職する。岩内で農業と魚の加工業を起こそう計画するが持病の脚気が悪化して仙台に戻り、明治九年に死去。享年三十七歳・・・星恂太郎は額兵隊を率いて蝦夷地へ渡航する前に友人の金成善左衛門の妹・ツルと結婚(当時十七歳だったツルに惚れ金成に頼んで妻にした)、二女をもうけた。長女は後に榎本武揚の媒酌で函館政府の会計奉行だった榎本対馬の次男・孝太郎に嫁ぎ、次女は樋口忠一に嫁いだ)子孫に歴史作家・星亮一氏がいる。(薩長に批判的な作品が多く、悪評も多いが官軍の雑兵によるいわれ無き殺戮や略奪、強姦を受けた東北戦争の犠牲者の子孫の心情を考えれば私は当然のことと理解できる。)
posted by こん at 23:15| Comment(5) | TrackBack(0) | その他の藩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
上記によれば星亮一氏が星恂太郎の子孫とありますが、星違いで子孫ではありません。星亮一氏は宮城県丸森町出身。星恂太郎の子孫が残念ながら途絶えてしまっています。

以上です。ご訂正をお願いいたします。
Posted by 乍 at 2011年01月12日 15:21
>官軍の雑兵によるいわれ無き殺戮や略奪
>強姦を受け た東北戦争の犠牲者の子孫の
>心情を考えれば私は当然のことと理解できる。

何を根拠に理解できるんですか?
官軍の蛮行はアンチ薩長を掲げる作家の
作品にしか出てきませんが?
むしろ会津兵による蛮行なら史料に多々記されてますよ。

会津プロパガンダを鵜呑みにして
偽善心で語るのは止めましょう。今は21世紀ですよ?
もしかして知りませんでしたか?www
Posted by 会津プロパガンダ反対 at 2013年02月19日 20:04
このメールが見当違いの時はご容赦ください。
この度、日本文学館より小説「渋太夫自害」を67歳で初めて書きました。
全国の書店で購入できますが、無名の新人ですので取り寄せになると思います。
内容は奥羽鎮撫総督「九条道孝」が海路より仙台に入ってから会津降伏までの約半年間、
北は「きみまち坂の戦い」から、南は「旗巻峠の戦い」、「世良修蔵事件・秋田川反事件」、
これらのかかわりなどを、パノラマ的にとらえたつもりです。
それと幕末の桜田家と「養賢堂・北辰一刀流・清河八郎・坂本龍馬」のかかわりや、
山南敬助と桜田家の関係も書いております。(販売は10月からです)
Posted by 啓天 at 2013年09月25日 19:55
官軍の蛮行はアンチ薩長を掲げる作家の作品にしか出てきませんが?

典型的な歴史修正主義。ネトウヨか日本会議。
Posted by 正義の人 at 2016年12月19日 01:29

会津 → 薩長に燃やされた設定なのに古い建物がいっぱい残ってる
郡山・三春・猪苗代 → 会津によって燃やされる。明治以前の建物ほぼなし。
Posted by のき at 2017年03月24日 09:16
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