2008年11月07日
坂本乙女は天保三年、土佐藩郷士・坂本八平と幸の三女として生まれる。坂本龍馬より三歳年上の姉・乙女は身長174cm体重112kという現代でもかなりの大柄の彼女は「お仁王様」とあだ名され親しまれていたという。乙女は男勝りの性格で気性が激しく薙刀の達人といわれ、また馬術や弓道にも秀でていた。更に四書五経に通じ、和歌や絵画、琴、三味線など多芸多趣味の持ち主だった。龍馬が十二歳の頃、病弱だった母が亡くなり乙女が龍馬の母代わりとして養育に勤めた。末っ子の龍馬は寝小便が直らなかったが、乙女は間夜中に龍馬を起こして小便をさせるなどして、根気良く直したという。朝には習字を書かせたり和歌集を読み聞かせたりし、午後には自ら竹刀を取って剣術を仕込み泣き虫龍馬を鍛え上げたという。乙女は特に太閤記や源平盛衰記、三国志などの軍記物の書物が好きでよく龍馬に読み聞かせ、後の龍馬の人生に大きな影響を与えた。安政3年ごろ乙女は兄・権平の勧めで同じ町内に住む、土佐藩山内家の御典医・岡上樹庵と結婚した。安政5年に長男・赦太郎が誕生したが、住込みの女中・婦喜に長女・菊栄を生ませた。女癖の悪い夫との夫婦仲が悪く、姑・霜ともうまく行かずに家を出て離婚し実家へ帰った。その後、乙女は龍馬と暮らした実家の離れでのんびりと暮らしたという。上京した龍馬のよき理解者として、ある時は励まし、ある時は恋の相談相手として手紙のやり取りが続く、乙女自身も国事のために尽くしたいと龍馬に迎えに来るように手紙を送るが、京都近江屋で龍馬が暗殺され立ち消えとなる。その後、乙女は独と改名し、龍馬の妻・お龍と一緒に暮らしたが、お互いの勝気が災いし数ヶ月でお龍は放浪の旅に出る。長兄の権平亡き後、坂本家は新政府の計らいで長女・千鶴の子(高松太郎の弟)の坂本直寛が相続したため、晩年の独(乙女)は直寛に養われた。明治十二年、土佐にコレラが流行していたが、独(乙女)はコレラを恐れ野菜を一切口にしなかったらしい、その為にビタミンCが不足し壊血症にかかり死去する。享年四十八歳・・・龍馬は生涯において日根野弁治、千葉定吉、勝海舟など様々な師についたが、幼い頃の愚鈍で泣き虫な龍馬を天下一の男に鍛え上げた乙女が一番の師であったのかもしれない。
posted by こん at 14:33|
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土佐藩
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