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2008年10月24日

坂本龍馬の甥で坂本家を継いだ 高松太郎

tarou.jpg高松太郎は天保十三年、安芸郡安田村の郷士・高松順蔵と坂本龍馬の長姉・千鶴(有名な姉・乙女は三女)の長男として生まれる。龍馬は姉・千鶴の嫁ぎ先の順蔵宅へよく出入りし、甥の太郎を可愛がったという。順蔵は長谷川流居合術の達人で歌や画もよくし学識優れた人物で私塾を開いていた。太郎はこの塾で学び、同門の中岡慎太郎と知り合う。安政二年、太郎は高知城下へ出て龍馬が習っていた小栗流日根野道場に入門し五年間剣術修行に明け暮れ、万延元年に諸国武者修行に出る。武者修行の途中に武市半平太(瑞山)と岡田以蔵出会い久留米まで行動を共にする。道中、武市半平太と話をする機会が多く次第に尊王攘夷に傾倒していき、文久元年には土佐勤皇党結成後に加盟する。文久二年、藩命により藩主・山内豊範の参勤交代に随行し、上洛後は叔父・龍馬の口添えで勤皇派の大原重徳や三条実美、姉小路公知邸に出入りする。また、勅使東下の際には武市半平太や岡田以蔵とともに姉小路公知の警固として随行し、江戸へ出る。江戸で勝海舟の弟子になっていた龍馬と再会した太郎は龍馬の勧めで「勝塾」に入門、龍馬のともに神戸海軍操練所で航海技術を学ぶ。その後、海舟の「勝塾」の塾生が池田屋事件に関与していたこともあり勝海舟は江戸へ呼び戻され失脚、海軍操練所は閉鎖される。また、土佐藩では藩主の後見となって土佐に戻った前藩主・山内容堂は土佐勤皇党の弾圧をはじめ、龍馬や太郎たちを土佐に帰藩するよう命令する。しかしこの藩命を拒否し脱藩した龍馬と太郎は勝の根回しで薩摩藩大坂屋敷に庇護され、小松帯刀に同行して鹿児島へ渡る。鹿児島では薩摩藩海軍の調練を任される。その後、長崎で龍馬の亀山社中設立に参加、龍馬が薩長同盟に向けて奔走し始めると太郎は近藤長次郎とともに長州藩のために薩摩名義で武器や艦船の買い付け(長州藩士・伊藤俊輔とイギリス商人グラバーから最新のゲーベル銃4300挺を購入)し幕府の長州征伐に対抗する準備を手伝う。慶応二年、坂本龍馬の提唱した蝦夷地開発計画(龍馬はいずれ、国土の小さい日本は資源不足になるので蝦夷地を開発し資源を確保しなければいけないと先を見ていた。)を実行に動き出す。太郎は薩摩の援助で購入した帆船・大極丸で資源物資を売り捌く為には大坂商人の協力が必要として、同志の安岡金馬とともに大坂へ出張し土佐藩の定宿「薩万」に宿泊しながら商人と交渉を重ねた。しかしいくら商魂たくましい大坂商人も荒唐無稽な将来の資源物資の販売に手を貸す商人はあらわれず失敗に終わった。(龍馬の先見を理解できる商人はいなかった。)亀山社中が海兵隊に移行してからも中堅幹部として大坂の「薩万」に残って海援隊の仕事に奔走していたが、京都の坂本龍馬と中岡慎太郎暗殺の報を聞き同志とともに淀川を船でのぼり翌日京都に到着、龍馬の遺体と無言の対面をした。太郎は龍馬の蝦夷地資源開発の意思を継いで慶応四年、新設された函館府に権判事となり、府知事に北海道開発の建白書を提出、その後旧幕府軍の榎本武揚たちが函館に侵攻し五稜郭に入り函館政府(蝦夷共和国)を樹立、太郎は一旦青森へ撤退するが、明治新政府軍の函館戦争に従軍し軍功を挙げて再び函館府に勤める。明治二年、土佐に帰るが先年の脱藩の罪で一ヶ月間の謹慎処分を受ける。明治四年、坂本家では龍馬の兄・権平が病死し、維新の大功労者の坂本家が断絶するのを憂いた朝廷の命で甥の高松太郎が坂本直と改名し相続させ永世15人扶持を賜った。その後、太郎(直)は家督を実弟・直寛に譲り東京府や宮内庁に出仕した。しかし明治二十二年にキリスト教の信徒であるという理由で宮内庁舎人を免職となり土佐へ帰る。土佐で坂本直寛宅で同居し余生を送る(実弟・直寛は龍馬の姉・乙女の面倒を見ていた。)が明治三十一年に病死した。享年五十七歳
posted by こん at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 海援隊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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